国連で働き始めてから二年が経ちました。僕が勤めていたのはバンコクにあります国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)(国連事務局と経済社会員会のカテゴリーにはいります)の管理部情報通信技術管理課です。バンコクのオフィスは、アジア太平洋地域における本部にあたり、アジア太平洋全域を担当します。
主に担当した仕事とその他のアクティビティ
僕は今回、この職場を通じて主に下記のプロジェクトを遂行しました。
- 国連グローバル情報通信技術セキュリティコンプライアンスの強化
- 国連グローバル情報通信技術戦略・アクションプランの遂行
- アジア太平洋地域の国連事務局配下のオフィスICT調査(監査)(対象117拠点)
- 国連メールシステム移行(ユナイトメール) 7カ国
- プロジェクトマネジメント中央管理システム導入
また二年に一回ある国連アジア太平洋経済社会員会のスタッフデイの司会をつとめ、歌も披露致しました。(この記事のトップ画像は、その司会を勤め、一曲披露した後にバラを観客のスタッフからもらうひと時の写真です。)
上司の勧めもあり、今後のキャリアのためにビジネス経営学を学ぶため夜間にタイの大学院にも通っております。
初の海外生活
海外旅行に行くことはよくありましたが、海外での生活は初めてでした。ビザはFビザという外交ビザを発行してもらい、タイのバンコクに住んでいます。タイは年中暖かい(暑い)気候で、食べ物も馴染みやすく、人も礼儀正しく、初めて住む上では大変住みやすい国だと思いました(今はいろんな不満はありますが笑)。特に大きなトラブルもなく、タイ語も覚えながら暮らしています。
また、タイはいくつかの国が隣接し、アジアのハブ化しているため、簡単にいろんな国に旅行することができます。この2年だけで、日本を除くと、モルジブ、ミャンマー、シンガポール、グアム(アメリカ)、ベトナムに行きました。国内旅行よりも同じくらいの料金でいけるので(ホテルは同じ値段だと何倍も豪華)、コスパが良いと感じます。タイからだと、日本に帰る航空券分の料金で、ホテルも含めた旅行料金全部賄えてしまうことが多いです。
国連にはいって驚いたこと
国連にはいる前は、日本の民間企業に勤めてまして、日々脳みそに汗をかきながら慌ただしい日々を送っておりました。国連に入ってびっくりしたのが、働く環境のマイペース具合。
僕が入って一番初めにアサインされたのが、二年間遅延しているプロジェクトでした。年単位の遅延など経験したことがなかったので大変驚いたのを覚えています。まずはこのプロジェクトの現状と背景を把握するために、色んなドキュメントを片っ端から読みました。ただ、ドキュメントも少なく、プロジェクトメンバーの頭の中にほとんどの情報があることをしり、基本的に属人的なプロジェクトの回し方をしていることがわかりました。
決定的な根拠探しが重要、拠り所を見つける
現状を知った後に行ったのはその背景の把握です。今後トレーニングや機関内で発表をしなければならないので、プロジェクトを進めるにあたって決定的な根拠が何かを把握しなければなりません。そこでまず行ったのが、過去の国連総会決議書、国連情報通信技術コンプライアンス資料、セキュリティポリシーの読み込みです。そして、ここで大きなことを学びました。国連で働く上で、国連総会の決議書、部のトップがサインしたドキュメントなどの重要資料を拠り所とすることができる、と。
国連の多様性を認めた上で重要なこと
国連ではいい意味でも悪い意味でも多様性に溢れています。当然働く人びとの考え方、思想、価値観が異なります。僕が働く上で当たり前だと思っていたこと(例えば締め切りに対する考え方、メールの返信の有無、仕事に対する責任)が、当然異なります。コモンセンスがそもそも異なるので、何か共通するものがないといけません。僕が今のところ行き着いた答えが、この国連総会決議書および重要資料です。
いつでも求められる時にこれらの決議書や重要資料の内容が瞬時に出てくるよう、常に勉強しなければならないと考えています。ここを拠り所として、あとは各個人の「人を動かす力」が必要だというのが国連にいての肌感覚です。
人を動かす力
この人を動かす力が一番苦労します。僕はグローバルプロジェクトを担当してたということもあり、自分のオフィスだけでなく他の国のオフィスにも連絡をとらなければなりません。例えば、メールの返信をもらうためにはどうしたらいいか、という単純なことでさえも苦労する点の一つです。リマインドメールを送る、電話をする、上司を通じて連絡する、(同じ建物内であれば)オフィスを訪ねる、同じオフィスの別の方に聞く、日本人のつてを通じて頼む、他のフォーカルポイントを探す、メール文章を工夫する(利点を強調したり、不安を煽る、文章を短くするなど)、1分だけ割いてもらえれば完了するように内部の求めるレベルを下げるなど様々です。すぐに返信してくれる人もいれば、3ヶ月かかったパターン、6ヶ月かかったパターン、未達のパターンとありました。
プロジェクトを進める上での反発
話は戻りますが、プロジェクトの現状、背景を知り、スコープを再調整し、とにかくスピードを追求してプロジェクトを進めました。現状の不安材料をなるべく解消し、機関内調査をし、パイロッティングをし、トレーニングを行い、内々の準備が整ったところで、実装導入にとりかるためのスケジュール案を提示しました。ここで様々な反発がありました。僕が提示したスケジュールは最速で実装導入が完了するスケジュールで、後はGoかNo Goかの判断のみです、他の準備は完了しています。しかし、ここで下された決断は緩やかな実装導入でした。その理由は、過去の組織内の背景にありました。(ここではその理由を割愛します)当たり前ですが、もっと組織内の背景と文化に注意を向けなければいけないと学びました。
チーム内での精神的な不安
そこで緩やかな実装導入を行うにあたってのスケジュールを再調整します。ここで、緩やかな実装導入の最速スケジュールを作成します。今度はチーム内のメンバーから不満が漏れます。「どうしてそんなに急ぐのか」と。最初はその質問の意図がわからず、逆に色々と質問をしてみました。すると、どうやらそのメンバーは過去に自分が関わったプロジェクトであるミスをしてしまい、また誰も庇ってくれなかったという嫌な経験をしたようです。そこで、プロジェクトを進めるにあたって、同じようにミスを自分のせいにされるのが嫌だから、少しでもゆっくりプロジェクトを進めるか、あくまで「命令」として自分に指示を与えてくれと言ってきました。
「わかった。失敗は全部俺の責任にしていいから、とにかく協力して欲しい」と緩やかな実装導入の最速スケジュールで実行することに納得してもらいました。彼はもともと国連にずっと長く勤めている人、かたや僕は国連にきて数カ月のこと。正直、何か問題になって自分の首になってもあまり怖くありません。(そういうことを話すと偉く驚かれたり、尊敬されたりされるのですが…そんなもんでしょうか)。けれども、彼はまた責任問題になるとその機関での意心地も悪くなるでしょうし、契約更新できなければ大変です。
プロジェクトは成功
プロジェクトが長くなるので、プロジェクトメンバーの早期出社早期退社の許可をもらい、スケジュールをもとにメンバーをアサインして、実装導入をおこないました。
結果として、無事プロジェクトを完了し、グローバル・タウンホール・ミーティングで、この実績が発表されました。光栄に思う瞬間でした。
国連はまだまだこれから?
他にも、様々なグローバルプロジェクトを通して、短い期間ながらも国連の良いところと悪いところを見てきました。僕の感想としては、「大変もったいない機関」だということ。そこかしこに業務改善すべきところがあります。
もっともっと効率よく業務を運び、同じ予算でもっと多くのことを達成でき、もっとスムーズに混乱なく業務遂行できると思っています。テクノロジーの導入はまだまだです。寧ろここ数年でやっと動き出したと言えます。
若者が国連に入るハードルが高い
そして若者が国連に入るハードルが高いということ。世界中から多様性を認めながら、ある程度の水準の者を採用するのは簡単なことではないと思います。採用の失敗を少なくするために、学歴で線引きしたり、職務経験年数で線引きしたりするのは理解できます。
それでもエントリーレベルの国際職員(P-2)の平均年齢が36.6歳というのは高すぎだと思います。また、少しずつ国連職員の平均年齢が高くなっています。そもそも、学歴や職歴、国連採用試験の合否と実際の仕事遂行能力は関係するのでしょうか。議論する能力が驚くほど上手い人がいますが、実際の仕事遂行能力はハテナな人がいます。実際その現状に、がっかりする同年代を何人か見て来ています。そういう観点から、もっともっと日本人が活躍できると思っていますし、もっともっと出て来てほしいなと思っています。(これが実際に僕がブログを書いている動機の一つです。)
また、詳しくは下記のスタッフに関するブログ記事をご覧ください。
各プロジェクトそれぞれが学びとなった
色んなプロジェクトを通して、様々な経験ができました。グローバル規模のものから、ローカル規模のものにアサインしてくれた上司に大変感謝しています。自分のキャリアのことによくアドバイスをしてくれますし、自分がどのようなスキルを身につけなければならないかなど道を示してくれます。ビジネス経営学を学ぶため大学院に行けるようスケジュールを調整してくれたり、プロジェクトマネジメントの資格をとるよう勧めてくれたり、本来では体験できないところに連れて言ってくれて、とにかく経験を積む機会を与えてくれました。感謝してもしきれません。同僚にも恵まれ、国連のバンコクにいる人たちは暖かい人たちが多いし、頼ってくれる人がいることも、自分の存在価値を実感することができます。
ただ、大きい組織だということもあり、まだまだ全然国連全体のことはもちろんのこと、自分の部署のことですらまだまだ知らないことが沢山あり、もどかしい気持ちでいっぱいです。けれども、それを解消する第一歩となる、自分のすべきことは見えています。とにかく国連決議書やガイドライン、その他の重要な資料をひたすら読むことです。今も必死に、それらの資料を読み込んでいます。そして、たまにそのことに関して記事を書いて共有させて頂いております。
日本大使館、日本人国連職員のサポート
日本大使館のサポートもとても有り難かったです。何ヶ月にも渡り勉強会を開いて頂き、また様々な国際機関の様々なポジションの方と話す機会を設けてもらいました。国連システムの多様性と複雑さを知るきっかけになりました。
また、日本人国連職員の方々にも本当に沢山のことを教えてもらいました。何でそんなことも知らないんだよと思うようなことでも、懇切丁寧に教えてもらったり、色々愚痴も聞いてもらいました。お上品な方が多いので、恐縮してしまう時が多々あります(笑)そして色々話すたびに、国連のシステム内で働くことの難しさを知りますし、こんな仕組みがあるんだ!と新しい発見がたくさんあります。特にランチ仲間のH・KさんとH・Tさん、ありがとうございます。
今後に関して
これからは国際連合プロジェクトサービス機関という機関に籍を置き、プロジェクト・オペレーションズ・スペシャリストとして働くことになります。この移籍に伴い、大変多くの方にサポート頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。手伝ってよかったと言ってもらえるように頑張って働いて参ります。
私自身は、国連に入ってからまだ2年です。まだまだ、知らないことだらけで、色んなことをどんどん吸収していかなければなりません。仕事をする上では現在の知識でも問題ないのですが、自分のキャリアに幅を持たせるためにもっともっと幅広い知識をつけなければなりません。今月から、より集中して勉強できるように身の回りのことに投資していますので、今後は力強く物事を動かして行ければと思っています。今後とも皆様のご指導、ご鞭撻賜れますように、どうぞよろしくお願い致します。
以上、国連に勤め始めてから二年間を振り返りでした。
亀山さま
はじめまして。夫がJICA専門家として中南米の国にて約8年仕事を終え、
昨年事業終了に伴い、帰国しました。
赴任国では現地スタッフからも慕われて、とても楽しい素晴らしい8年間だったようです。
本当はそのまま事業は継続すればよかったのでしょうが、そこは予算の関係もありかないませんでした。
その後、国連サイトに応募するもののなかなか面接まですすむことがありません。
いくつか絞って応募しているもののやはり厳しいようです。
若い方ならともかく、年齢が50歳にもなるのでそちらも関係あるのではないかと思っています。
もし何かアドバイスなどございましたらお願いできれば幸いです。
たかはしたかこ様
コメントありがとうございます。また、返信が遅くなったことお詫び申し上げます。
さて質問の件に関してですが、基本的に国連事務局におきましては人事ルール上年齢が書類審査上、加点・減点対象になることはありません。ただし、採点する人は人間ですので、ポジションのレベルによって年齢のバイアスをかけてしまうこともなきにしもあらずです。
国連においてはかなり競争率が激しく、ポストによっては200~500倍とも言われています。書類選考通過者でも一桁人しか通らなかったりしますので、かなり狭き門だと思います。(私の知り合いで、一つのポストを獲得するのに100弱のポストに応募したと言っておりました)。
ポストによっては、雇う人を内部的に決めているということもあるので、(かなり大変ですが)応募数をもっと多くすることも視野に入れてみるのもいいかもしれません。
ご参考になれば幸いです。コメントありがとうございました。