https://medium.com/@koichirohonda/なんで駐在員は大変なのか-英語編-fbf2711c3534
Koichiro Hondaさんのこの記事を読んで、僕の経験とほぼほぼ合致するなあと思ったので、僕の過去への戒めも含めて書きたいと思います。この記事は、小さい頃から国連を目指して留学経験を積んで常に語学力を鍛えてきた人には役に立たないと思います。それよりも、英語力に一抹の不安を抱えている人には、少しホッとする内容なんじゃないかと思います。英語だけに焦点を当てて記事を書いています。
なお、自分の当時の英語力は、数値化できていません。おそらくTOEICで900ぐらいの点数なのだろうけど、数字となるのは高校生3年生の時に受けたTOEIC(800点)が最後で、もしかしたらそれぐらいの英語力だったかもしれない。。。
もう2年前の話で、記憶と精神的な印象を頼りに書いてあるので、大筋ではあっていますが、時間的なイベントが多少ずれているかもというのと、もしかしたら多少大袈裟に書かれているかもしれません。
正直、この記事を公開することは恥を晒すので僕にとってはデメリットしかないけれども(そして、国連で働く人の印象を悪くしてしまうかもしれない)、今後国連で働きたい人にとって国連採用試験を受ける上での「ハードルが下がること」に繋がればとの一心で書いています。国連を特別な人間集団として考えている人が多くいると思うけど、そうじゃなくて「普通な人」が多く働いている集団であり、日本人としての仕事のバリューを出せる格好の場所だとも考えています。なお、私は管理部で働いているので、政治的な部分や政策締結等のプログラム系のことには直接関係していません。
多少の英語力は必要だけれども、それ以上に仕事の実行力が大事だということが最終的に伝わればいいなと思って書いています。
国連で働く以前は、英語を使って働くということはごく僅かだった
そもそも僕の過去を振り返ってみると、英語を主たる言語として働くというのは現在働いている国連でが初めてです。今まで、海外のプロダクションメンバーと会話をしたり、海外の子会社に出張し英語を使って指示を出す、メールやチャット上で英語を使って仕事をするということはまあまあ良くあった。
でも、日本とは全く違う仕事環境で、英語のみで仕事をするというのは初めてで、正直はじめのうちは自分がその組織において明確に機能しているという実感がなかった。
ちなみに、たい・バンコクの国連の仕事環境はというと、僕の所属していた課で英語が母国語という人はあまり多くなく、大抵の人は第二言語として英語を取得していた人だった。
1ヶ月目
9月。タイ・バンコクに引っ越し、銀行口座開設、国連グランドパス発行等諸々の登録作業を行い、自分の課全員に自分のことを紹介してもらう。
僕は、2015年にあった第三回国連世界防災世界会議のカウンターパートナーがその時の上司になったということもあり、チームメンバーの何人かは顔馴染みだったし、タイ人も温厚で人懐っこい性格の人が多かったということもあり、そこまでチームに馴染むという意味では問題なく、暖かく迎えてくれた。
初めは、国連近くのアパートを借りていたのだが、上司の勧めもあってインド人の同僚と同じところを用意してもらった。そして、身の回りのことはそのインド人の同僚が親身になって世話をしてくれた。そのインド人は少しタイ語が話せたので、色んなところに連れ回してくれた。(それこそ朝までコースが何回もあったが笑)
仕事自体は、上司が初め慣れるまでゆっくりやってくれと言ってくれていたので、そこまでプレッシャーを感じることなくできたが、7時に職場にきて、4時ごろに帰るという生活習慣がなかなかなれなかった。何しろ、日本では朝から晩まで働くということが珍しくなかったので、4時に帰ってもいいのかな?なんて思いながら仕事をしていた。
だが、仕事をそんなしていないにも関わらず、英語に慣れていないので、英語を聞いているだけで凄まじい疲労感がある。1日10時間ぶっつづけで英語のリスニングのテストを受けているような感じと思ってもらえばわかりやすい。毎日頭がボーっとする。
冒頭のリンクより
これは本当に僕もその通りだった。あまり仕事をしている感覚がないのに、英語に慣れていないので、英語を聞いているだけで疲労感がものすごかった。毎日アパートについては、どっと疲れがくるし、お世話をしてくれてた同僚のインド訛りの英語も聞き取るのが大変だった。それでも彼はとてもナイスガイだったので、とても頼りになった。
幸い、食べ物はとても美味しいので、苦労することはなかった。
2ヶ月目
10月。ここでは自分の仕事の仕方をだいぶ模索している時期だった。気を使って、いろんなミーティングに連れて言ってもらい、国連の仕事がどのように回っているのか、またグロバールミーティングも参加させてもらい、上のレベルの人たちがどのように仕事をしているのかも見せてもらった。しかし、正直何を話しているのか固有名詞が多く、全然何を言っているのかわからず、自分の英語力のなさにただただがっかりしてた。
ミーティングや同僚と話す時は必ずと言っていいほど、会話の録音をしてた。日本語で話す分にはなんて事のない会話でも、トピックが変わるたびに、その会話の内容がすっかり頭から抜けてしまうということが多かった。当然メモも取るようにしていたのだが、役に立たない単語の羅列で、自分でもなんのためのメモなんかと失笑してしまうぐらいだった。メモも特に役に立たないので、録音した内容を自分のデスクに戻るたびに聞き直し、メモを取り直し、仕事に当たっていた。
そして、仕事の仕方を、日本で仕事していた頃のやり方に変えて、とにかく自分のペースで仕事ができるように工夫した。国連に入る前は、海外経験者に「勤務時間内に仕事を完結できない人は能力がないということと同義だから、勤務時間内に帰るようにしないとダメだ」と言われていたのだが、そんなことを聞いていられないぐらい、自分の仕事のパフォーマンスの悪さに辟易してた(多分、日本で仕事してきたパフォーマンスの3分の1以下しか出せていない感覚)。一度、上司と夕食を食べに行き、その際に相談にのってもらった。そして、率直に「勤務時間内に帰らないと何か不利になることはあるか」ということを聞いてみた。
「俺はもともとハードワーカーだから、その気持ちを理解できる。勤務時間内に帰らないと翔大の評価が不利になることはないし、そんなことはしない。自分が良いと思ったやり方で働いていいぞ。もし、長時間オフィスで働きたいのなら、そうやって働いても構わない。」
それからというもの、朝早く来てチームで確認しなければならないことは、チームとやりとりに集中して、勤務時間外からは、自分の仕事に集中した。
2ヶ月目は、チームリトリートがあった。2泊3日間パタヤのホテルに缶詰になり、チームビルドをするというもの。いろんな課題が与えられ、その度に議論をするのだが、たまたまタイ人と同じグループになったということもあり、その時は英語力がそこまで苦にならなかった。どうやら、タイ人のスタッフはそこまで英語力が高いわけではないようで、むしろ自分の方が英語力が高い場合があることを知った。ただ、「微笑みの国タイ」だからなのか、そこまで直接的に意見を言うということはない人が多いのだなぁと思う。また、チームリトリートが好きな人と面倒臭がる人に大きく別れているようだった。
毎週末は相変らず、同僚と朝まで飲み明かした。
そして、2ヶ月目に入り、日本から持ってきた英語の教材とタイの本屋で買った英語の教材を買って勉強し始める。
3ヶ月目
11月。多少英語力が改善しているものの、それでもまだまだ英語力の欠如を感じる。というか圧倒的に足りない。毎日英単語20個覚えるようにし、なるべく覚えた英単語を仕事で使うようにした。圧倒的に英語力が足りないが、幾分、少しずつ前進しているという意味で、精神衛生上楽にはなる。
ただ、相変らず英語の理解が足りないので、その分を仕事で補うしかないと思い、ひたすらアウトプットの量を増やしたし、雑用含めてなんでもした。多少仕事内容であれば会話ができるようになってきたが、ランチタイムになると絶望タイムだった。雑談の方が全然話が理解できない。
ランチタイムは、それこそいろんな会話が飛び交う。さすがにランチタイムの会話を録音することは意味がないので、とにかく一言でも発言をすることを目標にしていたが、早い会話が繰り出される中、自分がどのタイミングで発言をするのかがとにかく難しかった。自分の発言が空気を読んでいない発言かどうか気にしすぎて、会話が次のトピックに移っているなんてことはしょっちゅうだった。母国語じゃないのに、この人たち会話がどんどん出てきてすげーって思ってた。
仕事は自分のペースで出来るようになってきて、(それでもパフォーマンスが自分基準で相当悪くて嫌だったが)プロジェクトも動かせるようになってきて、幾分マシにはなった。そして、国連の仕事の遅さに嫌気が差してくる時期でもあった。
この月も同様に毎週末は同僚と朝まで飲み明かした。
4ヶ月目
12月。年末モードに突入し、休暇を取る人がどんどん増えてくる。その関係もあり、進む仕事も進まなくなってきて、仕事は来年初めにスタートダッシュできるように工夫するという方向に仕事の仕方をシフトさせた。英語はだんだん慣れてきた。けど、議論をするとなると積極的には参加できない。
個人でぷらっと旅行もするようになってきた。とにかく一人でリラックスできる時間が欲しいと思ったから。まあ、それでも毎週末はとにかく飲み明かしていた。ここぐらいになってくると、いつも飲みにいっていたインド人の同僚の英語には大分慣れ、問題なく会話できるようになるし、時々言い争いになりもした。そして、言い争いができるようになる自分の英語力やすげーと少し悦に浸ったりもした。
けど、英語ネイティブの中で飲むと、途端に静かになっていた。インド人同僚とは、だいたい相手の話す内容もわかっていたし、耳も慣れたし、なんでも話せた。でも、ネイティブとなると、発音が綺麗すぎて聴き取れないという謎の新しい感覚が自分を襲う。そして、少し自分の中でパニクり、「微笑みの翔大」と化す。とにかく会話に頷いて、会話の理解だけに努める。意見を考える暇なんてなかった。早くこの時間終われって思っていた。
5ヶ月目
1月。多くの人の前でプレゼンをすることになる。とにかくスライドを何十回、何百回と見直し、訂正し、それに伴う自分の話す内容もスクリプトとして書き起こした。このプレゼンをすることが決まってからは、家に帰ったらとにかく練習。自分がちゃんと論理的に話せているか、何か足りない情報はないか、正当性があるか等確認しながら、国連総会決議書や国連コンプラ資料等をひたすら読み込み、ぼーっとしてもコンプラ内容が空で言えるように頭に叩き込んだ。
そして、プレゼンをすることになったのだが、パートナーが相当助けてくれた。主たる内容は自分が話し、オーディエンスからくる質問はパートナーが主に答えてくれた。この時、オーディエンスの質問は世界各国の英語が並び、訛りのせいでなのか、質問者が何を言っているのかよく理解できないことが多かった。パートナーがいたからよかったが、彼がいなければ相当大変だったと思う。自分のプレゼン自体は、相当準備したということもあって、わかりやすかったと思う(自画自賛)。それでも、たまに頭が真っ白になったので、その時ようのカンペは相当役に立った。
英語で行うプレゼンの怖さを実感した。英語でカンペなしにプレゼンできる人すげーとひたすら尊敬する気持ちでいっぱいだった。
国連の英語検定試験のトレーニングコースがあったので、それを受講した。週3日間。普段の英語学習に加えて、このトレーニングの宿題が加わる。英語学習時間で日常生活が少し大変になる。
また、国連Staff Dayの司会とオープニングソングを歌うということも決定し、その準備にも相当時間を費やす。
それでも、週末は同僚と飲み明かした。
6-7ヶ月目
2月3月。国連Staff Dayや英語学習以外は、この2ヶ月はひたすら仕事の鬼だった。あるIT技術の導入で、毎日違うオフィスを訪ねて説明を繰り返した。これはほぼ説明する内容が決まっていたので、全く問題なかった。
国連Staff Dayは、司会ということもあり、これはこれで普段全く使わない英語を使うということで、英語の先生に原稿等をチェックしてもらっていた。本当は司会原稿があることを期待していたのだけど、それは自分で作ることになった。また、自分が昔劇団四季で俳優をしていたということもあり、歌も披露する。当然その練習もしなければならない。そして、衣装もどうしようか・・・ということで、タイの民族衣装を借りて現場に溶け込むようにした。
これはこれでとてもいい経験だった。何よりも、自分の顔を国連スタッフ何百人もの前に晒すわけだから、自ずと自分のことを覚えてもらった。他の部署に行くと、「あの時の歌すごい上手かったよ!」という会話が生まれ、その後の仕事のしやすさに良い方面に影響した。
もちろん週末は同僚と飲み明かす。
8-9ヶ月目
4月5月。一つのプロジェクトが終わり、少し抜け殻状態になった。次のプロジェクトを進める上で、なかなか力が入らない。完全な脱力状態。
ただ、日本人国連職員との交流が多くなってきた。そして、知ることになった、国連を目指す日本人が少ないという現場の声。日本語の情報発信が圧倒的に少ないということが、根本的な原因の一つなんじゃないかと思い、ブログを書き始める。自分の生活に少し活力がわきはじめる。
そして、ブログ記事を書くにあたり、自分が国連のことを全然知らないということを改めて思う。そんなんじゃ、情報発信なぞそもそもできないだろうと思い、国連に関するいろんな資料に目を通しはじめる。そして、色んな資料を読めば読むほど、複雑な組織なんだなと痛感する。
そして、この組織のことをわからないことが、自分の仕事の飲み込みの遅さに起因することを実感し、決して英語力だけが問題なんじゃないんだと思いはじめる。英語は、自分の専門分野以外の会話は、なかなか理解できない。それでも、理解できる度合いは増えてきているし、ランチでの会話も少しずつ発言量が増えてきた。文脈が全くわからない内容は寡黙であることは変わりがなかった。
英語の勉強は続けた。国連の英語のクラスも受講し続けた。このぐらいになると、国連の英語資格試験ぐらいだったら合格できるなという実感を持つだけの英語力は出てきたと思う。
また、このあたりから、日本大使館主催の国際機関に働く人のための勉強会が開催される。
そして、同僚との週末飲みが激減し始める。
10-12ヶ月目
6月7月8月。今度は日本人勉強会にて、自分の英語力のなさに絶望することになる。この勉強会に参加するにあたり、自分は最年少だった。そして、ここに参加する国連邦人職員は何年も経験を積まれたかたばかり。自分の場違い感が半端ない。そして、ここで行われる勉強会は全て英語。どうにか自分が意見できるところを探して、少しでも参加するよう心がける。自分の意見は2分以内で述べることという制約があるエクササイズもあったのだが、この2分以内に必要な情報をすべて詰め込んで、起承転結じゃなけれども、要点を話すのは相当ハードルが高かった。
なお、ここで使われた質問内容は、国連の採用面接試験から引っ張ってこられた。
自分は、準備をして話すことは何とかできても、即興で何かについて話すというスキルが絶望的にないことを知る。そして、このことが恥ずかしくて仕方がないと思うと同時に、これって自分に英語力がないってことなんじゃないかと、再び自問をすることになる。Toast Mastersというクラブに通い始め、その即興の英語力を鍛えようと思ったけど、ハードルが相当高く感じられ、数ヶ月しか続かなかった。
仕事の方はというと、国連組織の他の国の部署とのやりとりが発生し始め、他の国とりわけNYとのやりとりに苦労する。何に苦労したかというと、返信をもらうことの苦労だ。NYからの必要な情報があったので、問い合わせを行う。メールの返信が返ってこない。リマインダーを送る。メールの返信が返ってこない。自分のメールの文章が悪いのかと思い、なるべく短いメールにして送る。返ってこない。上司を通じてメールをする。返ってこない。
この何ともない、最も基本的な意思の疎通というところでハードルが上がる。たった一行返信をくれるだけで、こちらは仕事が進むのに、それができない。たった一行の情報のために、少なくともそのプロジェクトに遅れが出る。
結果的に、3ヶ月その情報を得るのに時間がかかった。
英語の勉強は続けた。そして、自分が国連英語資格検定を受けることができないことを知る。。。改めて、出直すことになった。
そして、上司の勧めもあり、MBAに通うことを決め、色んな大学院にアプライしはじめる。
13-16ヶ月目
9月10月11月12月。昼間の勤務にプラスして、大学院に通いはじめる。全く新しい生活が始まり、新たなカンフル剤だ。仕事よりも勉学の方に自分のリソースを割きはじめる。そして、様々な管理系の用語を知りはじめ、全く違うビジネス記事などを読みはじめるようになり、まだまだ英語力が足りないと再認識する。それでも、英語の文章に対する心理的な負荷はだいぶ無くなってきており、気軽に文章が読めるようになる。それでも、文章を読む速さという意味では、まだまだ足りないと実感する。
毎月、最低二回は大学院でのプレゼンがあったので、当然練習してからのぞんだが、カンペを見なくてもプレゼンができるようになっている自分に気づく。少なくとも、自分の英語力が少なくとも上がっていることに気づく。
そして、このあたりからは、大きな会議以外は録音せずに済むし、コンスタントに自分のバリューを出せる分野が出てくる。はじめのリンクの言葉を借りるなら、下記の通りだ。
普通に仕事していて、さすがにここの部分では安定して勝てる、というのは一個くらいは出てくる。
とりあえず、よいニュースは、自分が戦闘力ゼロなのは、少なくとも英語が絶望的だからであって、一度勝ち始めると、必ず勝てるようになるということである。母国語での仕事で伸び悩むのとは訳が違って、英語での伸びは、必ず右肩上がりになる。(クズな英語がマシな英語になるだけで全然違う)
また、勝ち始めるということは、周りより自己学習力が高いという場合も多いので、自画自賛するべきだと思う。続けてれば勝てるという自信につながるからだ。他国で仕事をするというのは、どう考えても”Long shot”なので、瞬間風速で勝つよりも長期で勝つエンジンを持ってる方が大事だ。
冒頭リンクより
これは本当に、僕の経験にも重なる部分がある。英語力をアウトプットでカバーしてきたということもあり、仕事もやっとだんだん慣れてきたなぁという感じだ。
毎週末飲み明かすということはなくなった。大学院の授業で、それどころではない。
17-24ヶ月目
1月〜8月。この辺りになって、やっと自由にディスカッションができるようになったかなという感じがする。会議も録音しなくてもわかるし、国連の文章を読み込んでることもあり、仕事もわかるようになり、やっと仕事が楽しくなってきた。今までは、とにかく圧倒されて全体像をつかむことに苦労していたけれども、もっと大きな目線から現在のプロジェクトを捉えるように意識をシフトし始めた。
ビジネス書も学業のお陰もあって、何ら問題なく読めるようになる。英語ベースの勉強に慣れてくるし、日本語の本じゃなくても十分に理解ができる。寧ろ、日本語の教材の方が難しい時がある。専門用語を日本語に訳すと、確かにそういう訳語になるのだけど、やたら難しく感じる時が多々ある。
壁をいくつか超えたかなーと思ったけれども、実はこれがスタート地点なんじゃないかとも思いはじめる。
ブログ記事用に、国連人事の仕組みや、マネジメントに関する文章等を読むようになり、更に国連で読み込まなければならない文章が出てきたことも大きな発見だった。ただ単純に、国連で仕事する分には問題ない。けれども、上のポジションにいくことを考えると、相当色んな文章を読み込まないといけない。文章の読解力や速読がどれぐらいできるのかということが課題なのと、どうしてもマネジメントのポジションの人と話すときには、また別の視点で話ができるかどうかというところが必要という意味において、英語力プラスアルファの部分に焦点を置くべきだなと思うようになる。
ハリウッドの映画を見てみると、一部のジャンルは全く問題なく見れるが、自分の不得意なジャンルになると理解力が極端に下がる。こればかりは、地道に単語力を伸ばしたり、様々な言い回しに慣れないといけないかなと思う。
国連で仕事をするのに英語が気になる方へ
自分は、中学校と高校で英語の勉強は頑張った方だけれど、それ以降はあまり英語を使うことはなかった。ただ、僕の実感値としては、英語力が初めはなかったとしても、何とかなるということ。もちろん、そのフェーズフェーズの大変さはあると思うけれども、何とかなる。僕自身、英語力があるなんてとてもじゃないけど思えない。まだまだまだまだ足りない。けれども、つまるところ、重要なことは下記のことだと思う。
適応する上で一番大事なのは、とにかく防御力である。これは誰に聞いてもほぼ同意すると思う。かならずここだけは負けない、というところ持っているかどうかで解雇されるかどうかが決まる。最初の英語力ゼロフェーズを守りきることが肝心で、攻めの道具は極論いらない(どうせ英語のせいで十分には使えない)
僕の場合は、この防御力がハードワーキングであるということだった。とにかく量を働いて、アウトプットの質を量でカバーしたこと。正直、現在の僕の仕事のパフォーマンスは日本でのパフォーマンスに比べると、それでも半分程度。日本は相当働く環境に恵まれていたと思う。国連は、そもそもパソコンの動作が遅い、同僚のフィードバックがすぐにこない、ITの管理システムが発達していない、アナログなコミュニケーションを好む人が多い関係もあって、待ち時間が多く発生する。
その分、現在はアウトプットの質に重点を置けるようになってきた。英語力が思考についてこない時はあれど、まあ70%ぐらいは思っていることを発言できるようになった。あとは、ひたすら英語の多様な表現になれることと、語彙力を増やすということなのかと思う。
国連は、契約期間が短いことが多く、そのプレッシャーも相当なものだと思う。自分の専門となる分野がそのまま国連の仕事に活かせるのであれば、それを十分に活かせばばいいし、これで相当英語力のディスアドバンテージを克服できると思う。僕のように、自分の専門が実際の国連の仕事に直結しない場合や様々な分野のことを満遍なくやってきた場合は、自分の武器を見つけるまで、その組織の足りてない部分に注力して、役に立つということが重要なんじゃないかと思う。日本人は色んなところに目が行き届く人が多いと思う。国連で働いているのを見ている感じだと、その能力はとても貴重であると思うし、これが最大の防御の一つになると思う。
なお、国連は英語に加えてフランス語も労働言語である。タイ・バンコクではフランス語まで知る必要はないが、けれども将来的に必要であるというのは国連内にいれば誰もが感じることだと思う。いずれ、フランス語の勉強も始め、将来に備えたいとは思うが、英語と同じような経験を積むんじゃないかなと思う。
また、僕はまだ現場レベルで、政治に関することがほぼ0なので、現在の英語力は仕事を回す上で問題ないのだが、政治が関わってくる分野となると前提が変わってくると思う。僕は現場でいかに仕事を回すかに重点をおいているので、多少の英語の誤謬も後々のフォローでどうにでもなる。でも、それがトップマネジメントレベルのことやよりセンシティブな内容を扱うこととなると話は変わってくると思うので、始めから高い英語力が問われるはず。いずれそのレベルに近づきたいとは思うが、もし、このレベルのこと以前のまずは国連に入るレベルということで考えるのであれば、そこまで問題視しなくてもいいのではないか、まず挑戦して見て、自分の足りない英語力を適宜補うという方向性でもいいと個人的に思う。
何よりも実行力こそが仕事を動かしていく上で、重要だと信じているからです。